なまはげ伝説其の一:武帝五鬼説
その昔、漢の武帝が五匹の鬼を従え、男鹿へ渡ってきました。
年に一度、小正月の夜に休みを与えられた鬼たちは、
山から村里におりて畑を荒らし、娘をさらうなど、悪事をふるまいました。
困った村人たちは、
「一晩で五社堂まで1000段の石段を築けたら毎年一人ずつ娘をさしあげる。
できなければ二度と里におりてこないように」と賭けを提案します。
鬼たちが999段まで石を積み上げた時、天邪鬼が鶏の鳴き声を真似て夜明けを告げたところ
鬼たちは山へ戻っていき、ふたたび村里におりてくることはなかったといわれています。
鬼をだました村人は鬼のたたりが気がかりで
それをなだめるため、年に一度若者が扮した鬼にごちそうして
お山に帰したのが起源だといわれています。
なまはげ伝説其の二:異邦人説
赤い顔、長い髪、そして彫りの深い強烈な表情…。
なまはげの正体は、
船の難破により男鹿の海岸に漂着した外国人(ロシア人・スペイン人など)である
という説もあります。
大兵肥満で紅毛碧眼の風貌、海藻や藁を編んだ服をまとい、大声で叫ぶ様子が鬼のような姿に見えたとも。
山奥に暮らす彼らは、冬になると人里におりて盗みや物乞いをしたといわれます。
また、五社堂の石段は、外国人たちが持ち込んだ滑車と特殊なロープで造られた、という伝承も残っています。
なまはげ伝説其の三:山の神説
遠くからのぞむと、日本海にぼっかりと浮かんだように見える男鹿の山は、
「湧きいでたりし山」の伝承を持つ神秘に満ちたところ。
この山は、村人の生活を見守る「山の神」が鎮座する場所として信仰されてきました。
なまはげは、山の神が具象化された姿であり、真山や北浦周辺では「赤神様の使者」として赤い面を被ってくると伝えられています。
なまはげたちが「お山から下りてくる」姿は、彼らが山の神として崇められてきたことを印象づけます。
なまはげ伝説其の四:修験者説
男鹿で暮らす人々に「お山」と呼ばれ崇められている本山と真山。
この二つの山はかつて修験道の霊場として栄えた場所です。
多くの山伏たちが山奥に入り、長い期間、過酷な修行に励んでいました。
村人は、荒々しい修行をする彼らをなまはげの姿に重ね合わせたともいわれています。
あるいは、修験者が里におりてきた際にごちそうする。
この形がなまはげだという説もあります。